雑記・思い出話

夏休みの宿題をギリギリにやる派が、なぜ大人になって自慢するのか?

 

「夏休みの宿題、最終日までやらなかったんだよね!」

と誇らしげに語る大人、見たり聞いたりしたことありませんか?

 

まるで「昔やんちゃだったんだぜ」と自慢げに言うあの感じ。

なんで子どもの頃に怒られてたことが、大人になると武勇伝みたいに変わるんだろう?

 

それに対して、「僕、学生時代は真面目でした!」なんて誇らしげに言う人、

ほとんど見ません。

 

何が違うんでしょうか?

 

ここ、ちょっと考えてみましょう。

まず、やんちゃな人たちって、子どもの頃から反抗心を持っていたと思うんです。

 

宿題を最後までやらないっていうのも、

当時は「周りに合わせる必要なんかないぜ!」って感じで、ちょっとした反逆者気取り。

 

それが大人になると、「あの頃から俺は自由だった」とか

「誰にも縛られない男だぜ!」みたいな自分の個性として語られるわけです。

 

なんだか一発逆転、まるで人生の大博打みたいじゃないですか?

 

でも、面白いのはここから。

リスクを恐れない人間って、何だかんだで生き残るんですよ。

 

宿題をギリギリまでやらないで焦るあのスリル、覚えてます?

彼らはその感覚を大人になっても忘れないんです。

 

あの時の「間に合った!」っていう快感が、

いつの間にかビジネスや人生のリスクに変わって、

「追い込まれても乗り切れるぜ!」という自信に変わるんです。

 

だから、「最終日までやらなかった」なんて話が、

まるでサバイバル術を語るかのように聞こえるわけです。

 

一方で、真面目だった人はどうか。

宿題を計画的に終わらせて、いつも優等生だったあの彼、彼女。

でも、その話を大人になってから聞いたこと、あまりないですよね?

 

なぜなら、真面目って「当たり前」すぎるんです。

「え、だから何?」って思われがち。

 

さらに、大人の世界では、ただルールを守るだけじゃ成功できません。

むしろちょっとルールを外して自由に動くことが求められることが多いです。

 

だから、やんちゃな過去を語る方が「おお、なんか面白いことやってきたんだな」

って印象を与えやすいんです。

 

ただ、ちょっと待ってください。

真面目な人が成功していないわけじゃないですよ。

 

コツコツと積み重ねて成功するタイプの人もいます。

ただ、彼らは自慢しないだけで、それも真面目さの一部なのです。

 

「ほら、俺真面目にやってきただろ?」なんて言うのは、

なんとなくダサいですからね。

 

それに比べて、昔のやんちゃ話はドラマチックな感じがしますよね。

ちょっと危険な匂いがして、「この人、波乱万丈な人生送ってそう!」と思わせるから、

みんな聞きたがるんですよ。

 

結局、やんちゃだった人も真面目だった人も、

それぞれ違う道で成功する可能性があります。

 

ただ、昔の話をどう語るかで、周りに与える印象が全然違うんですよね。

 

だから、もし次に誰かが「昔は不良だった」とか

「宿題最後までやらなかったんだよね」と話してきたら、こう聞いてみましょう。

 

 

「それで今、どうなった?」って。

 

 

そこで聞ける話が、案外その人の人生哲学の核心かもしれませんよ。

 

 

今日が誰かにとっての一番良い日でありますように。

 


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ABOUT ME
ごりすけ
ごりすけの成長ブログのオーナーであり、「行動+継続=成長」がモットーのメインブロガー。 大阪府在中で妻と息子と娘の4人家族。普段は小さなクリニックの事務で働いています。 毎週金・土・日に様々な記事を投稿していきます。